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専門家インタビュー

誰もが平等に与えられる最期の時間をより良いものにするために

更新日:2023.01.08

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  1. 研究内容について
  2. 今後の目標について
  3. みんなが選んだ終活のユーザー様へ一言
  4. 取材に協力してくださった先生
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研究内容について

Q1.大澤様が行ってきた終活に関するご活動の概要とその成果について教えてください。

訪問看護師・ケアマネとして多くの高齢者の看取りをしてきました。

その中で、本人やご家族の方々の最期にむけた思いを受け止め、不安を解消するため必然的に終活支援をしてきました。

20年以上の年月の中で出会った多くの高齢者から教えていただいた生きる意味を形にするために、修士課程では、医療福祉ジャーナリズム分野へ進み作品にまとめました。

先人たちの「生きざま」そのものが終活であると考え、それを多くの方々に知っていただき興味を持ってもらうために出版の準備に入っています。

家で最期を迎えたいと希望し、望みどおりに最期を迎えた方々、入院中、飲食禁止の指示の元、家へ帰りビールを飲んで死にたいと願い、それをかなえて最期を迎えた方、複雑な家庭環境の中で認知症になった孤独な独居高齢者が迎えた幸せな結末など、多くの方々の最期の時を希望に沿う形で支援してきました。

そのためには、幅広い情報と知識・連携が必要となり、終活コンシェルジュの資格を取り、大学や行政が開催する終活セミナーで教育活動と相談支援を行っています。

講座では「生きるためのユニバーサルデザインやエンディングノートの書き方」を中心に行っています。

日本人は死をタブーとする一面がありますが、時代は変わり元気な時から自分の最期を考える方が増えているように思います。

講座の中で、生きるためのユニバーサルデザインを経験することは、自分の死と向き合い、自分が何を大事に生きているのか、どう生きたいのかに気づきます。

更に自分の最期に向けて心配な事は何なのか?を明確にすることで、その不安を解消するための事前準備が可能となります。

これは、今後の人生・生活の見通しを立てつつ、どのようなケアを受けたいかを本人・家族と話し合いながら考えていく「アドバンス・ケア・プランニング」にも繋がっていると感じています。

Q2.その研究を行った経緯を教えてください。

 修士課程が医療福祉ジャーナリズム分野でしたので、研究をしたわけではないのですが、多くの高齢者の生き抜いた姿そのものが終活だったと感じ、そのナラティブを「生きる意味をみつめて」の作品にまとめました。

 在宅での死を希望する多くの高齢者との出会いが今の活動に繋がっているのだと思います。その方々の望みをかなえ在宅で看取りをするために、訪問看護・介護・居宅介護支援・通所介護の事業が必要と考え仲間と会社を立ち上げ、私自身もケアマネと訪問看護師として多くの方の命と向き合ってきました。

終活とは、具体的に墓終いをどうするのか?とか遺言をどうするのか?という形式的な物だけではなく、その前にどう生き抜くのか?という姿そのものだと思うようになりました。

病院では不可能な望みも、在宅ではかなえることができます。

そのためには、自分がどうしたいのかをきちんと伝えられること、家族や支援者が、その思いにこたえてくれる関係性ができていること、その方を取り巻くフォーマル・インフォーマル支援者が,その方の望む最期に向けて同じ方向で協働できることが必要となります。

ある認知症で寝たきりの96歳の女性は、全盲の妹さんと二人暮らしでした。

私達は、10年以上、訪問介護で日常生活の支援をしてきました。

特にこの方は「美味しい物をちょっと食べたい」が望みでした。

嚥下障害があっても、毎日お雑煮を食べる習慣があり、介護士は悩みながらも色々と工夫していました。

いよいよ老衰で最期の時が迫ってきた時、医師より経口摂取は禁止と指示が出たのです。

妹さんは「最期の時を家にした意味がない!」と怒り、口から食べさせてくれ!と言いました。

私たちは何回も会議を重ねました。何とか食べさせてあげたい!その気持ちは妹さんと一緒です。

でも無理に食べさせて窒息したり、誤嚥して肺炎になったら・・・と考えると躊躇します。

会議の席で、あるヘルパーさんが言いました。

「美味しいって感じるのは胃に入った時ではなくて、口の中で感じるんですよね」この一言で、皆の行動が決まりました。

 ケアマネは、本人の望みを主治医へ伝え、本人の好きなものをガーゼに浸して舌の上に置き味わえるようにすること。その時は、訪問看護師が吸引できる環境を整えることを伝えると経口摂取の許可がでました。

そして食事の時は、訪問看護師が一緒に見守り大きなトラブルはありませんでした。

それぞれのヘルパーは、大切な思い出の食事を味わってもらうように大事に大事にその時を作っていました。

あるヘルパーは、庭のイチジクが熟れると甘露煮にして喜んで食べていたことを思い出し、甘露煮のジャムをガーゼに浸して舌の上に置きました。

目は閉じていますがニコニコしながら口を動かしています。

そして、その状況を目の見えない妹さんに実況中継のように伝えていました。

しかし、その時は訪れ、妹さんの腕の中で静かに眠ったように旅立たれました。

グリーフケアの時に必ず「よかったね」の言葉を耳にします。

これこそがノーマライゼーションです。

どんな状況になっても本人が生きたいように生きる。

そのために周りの人たちは、同じ方向を目指してやれることをやる。最期を迎えた時、本人の望みをかなえたという満足感が、涙の中で「よかったね」という言葉になるのです。

私たちは、仕事を通しながら多くのお年寄りの最期の姿の中に、生きることを教えていただいているのです。

それこそが終活であり、周りの者たちに「生きる意味」として繋がっていくのだと思うようになったのです。

Q3.終活に関して、現在はどのようなニーズが高まってきているのか、現在の主な課題についてのお考えを教えてください。



講座の中でナラティブを語りながら、参加者と一緒に生きる意味を見つめる機会としています。

その中で、実際のニーズとして質問があるのは、エンディングノートの書き方です。

市町村では、エンディングノートを作成して住民に配っているところもありますが、配布されてもどのように書くのか?がわからないので講座を開いてほしいとの希望があり、毎年、参加される方が増えています。

更に、具体的には、家の処分や生前・遺品整理、多様な葬儀の形や墓じまい等の相談も多いです。

これは、独居や高齢者の二人暮らしと言う環境が影響していると思われます。

また、財産に関する相談もあります。遺言書の書き方や知識を求める方も増えてきています。

その場合は、相談内容によって、弁護士や司法書士など適切な職種に繋いでいます。

また、認知症について不安を抱えている方も目立ちます。その場合は、看護師である自分が相談窓口となり具体的な支援をしています。

独居の方は、住み慣れたこの家で最期を迎えたいと望まれる方が多いです。

体が効かなくなった時、このまま家で野たれ死んでも本望と言いますが、離れて住む家族は、それを望みません。

好きな場所で自由に生きて、不足の部分は誰かに助けてもらい、たとえ一人でそのまま死んでもいいし、それを望んでいる方がいるのです。

しかし現実は、家族の家などに無理矢理連れて行かれたり、勝手に施設へ入所となったりするのです。

本人の望みはどこへいってしまったのでしょうか?一人で亡くなっていたら「かわいそう」と言われる。

でも本当に、かわいそうなのはどちらなのでしょうか?本人は、何を望んでいたのでしょうか?

だからこそエンディングノートにしっかりと希望を書いておく必要がありますし、それを家族に伝え了解を得ておく必要があります。

それができないと亡くなってからも、残された者に、心の傷や問題を引きづらせてしまうことになります。

家族は、本人がどうしたいのかをきちんと聴いておくこと、本人はエンディングノートなどに考えや望みを記入し家族に知らせておくことが必要だと考えています。

Q4.大澤様が考える本研究の意義を教えてください。

長さや質に関係なく、誰にでも平等に与えられているものが「死」です。

生きることは死ぬことであり、死とは、その瞬間までをどのように生き抜くのかということだと、出会った多くの高齢者から教えていただきました。

今、一人一人が、死を自分事として向き合い、元気な時から、どう生きたいのか?そのために何をするのか?を考え、自分の人生は自分次第で作り上げることができる事を心にとめて、死を前向きに捉えられたら素敵だと思うのです。

そのために、この作品を多くの方の目に留まるような形にしようと思います。

死はどのような形で訪れるか?誰もわかりません。でも、自分らしく生きた。その人らしく生きた。という思いがあれば、最期まで生き抜いたと言えるのではないでしょうか?

ジャーナリズム分野のため作品と言う形になりますが、多くの高齢者の生き抜いた姿をまとめたことで、生命学的に命は終わっても、語り継がれるもうひとつの「いのち」があることがわかりました。

それこそが、その人らしさであり、語り継がれる生きざまであり、一番大事にしなければならない終活の形でした。

 先人たちから頂いた「生きる意味」を語り続けることで、多くの方に自分の「生きる意味」を考えていただくことができる。それこそが意義だと考えています。

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今後の目標について



Q1.大澤様の研究における最終的な目標を教えてください。

 

終活が特別でない世の中になればいいと考えています。

生きていると色々なことがあって、きれいごとではなく不安だらけの毎日かもしれません。

でも、自分の人生は自分次第で作っていけるのだから、沢山の人的・物的資源に助けられながら、それぞれの人が、自分らしい最期を作り上げていける社会になったらいいですね。

そのためには、情報が適切に得られたり、気楽に相談ができる場所が日本中のあちらこちらにできたらいいと思います。

私自身、偉そうなことを言っていても、認知症の父の介護では最低の娘でした。

私は、福祉の最先端がスウェーデンだと考えていましたので、スウェーデンの認知症教育を学びインストラクターとして活動してきました。

第3者として認知症の相談を受ける時は対応ができるのに自分事になると、わかっていてもできないのです。

親子だからの葛藤や苦しみを経験しました。

そんな中でも、日本の素晴らしさに気づきました。

ちゃんと助けてくれる仕組みや人的・物的資源があるのです。

それを繋げることで救われることができます。繋げられるかが重要な鍵となるのですね。

終活も一緒だと思います。不安を解消する仕組みも、人的・物的資源もあります。

それを繋げていくことができれば、どんな状況になっても自分らしい最期を作ることはできると思います。

それが当たり前の社会が出来上がればいいな~と思い活動しています。

 

Q2.今後はどういった活動を進めていく方針なのでしょうか?

今、人生の終盤の新たな形を準備をしています。この仕事をしながら、ずっと考えてきました。

両親を看取り、これから自分の番となった時、子供たちに迷惑をかけずに自分らしく生き抜くためにはどうしたらいいのか?自分は、これからの人生の終盤をどのように生き抜きたいのか?自分のシニアライフを考えて介護の会社や教育のための会社を作ったり、メディカルマンションの企画から運営に関わってきました。

でも、何か違うのです。私は、施設で最期を迎えたくはありません。

では家で最期を迎えたいかと言うと、それも違います。楽しく自分らしくいられる環境の中で、元気なうちは自由にわがままに過ごしたい。

そのうちに最期を迎える時が来てもその場所で安心して、気心の知れた仲間の中で、きらりと星になって空へ行けるような場所と仕組みを作りたいと考えています。

今、仲間達と進めている事業は、そんな新しいシニアライフの事業です。

趣味を楽しむ自由な場所・家族に負担をかけない老後のために!「ピンピンきらりRV PARK」信州健康長寿特別区構想を準備しています。

デジタル田園都市健康事業として、未病への取り組み・育農による農地活用・免疫力向上のために食と健康と癒し事業・介護者・医療者の育成事業・環境配慮型シティ・防災備蓄を内容としたトレーラーハウスのパークです。

心も体も元気な時期を長くして、最期の時が来たら、自分が望んだ最期を迎えるために必要な支援を受けて、自分らしくきらりと星になれる。そんな夢のような企画が、実際に動き始めました。

アメリカでは、すでに多くのRVパークが存在しています。2地域居住として、住居とは別のエリアに家族や友人等との楽しみの場所としてRVパークの活用をしています。

この2地域居住による分散は、防災対策にもなっており更には地方創生にも一躍かってます。

このようなRVパークの日本版を作る予定です。

田舎の自然の中で元気なうちは、同じ趣味の人たちと快適なトレーラーハウスで楽しみながら過ごし、家と田舎を行ったり来たりしながら、ここで最期を迎えたいと考えれば24時間365日滞在する看護職や介護職のケアを受け最期を迎えることもできます。

よろず相談室があるため、終活の心配もいりません。例えばセカンドオピニオンを紹介してほしいと希望があれば医師が対応します。

行政の理解のもとに活動しますので、地域の方々との交流もあります。

元気の時間を長く過ごすために様々な未病対策をすることもできます。そのために関わるスタッフは、それぞれ多様な資格を持っていますので、その方にあった様々なヒーリングや運動療法・教育を提供します。

農業に興味のある人は、身体によい食材を作り家畜を育てることで、最終的には自給自足の生活も計画しています。

ヘルスツーリズムの形で体験入居をして納得がいったら生活を始めればいいです。

家を建てるわけではないので別の場所へ移ることも簡単です。お金に余裕のある方は、自分でトレーラーハウスを購入してもいいです。

車両ですから、家を建てるよりずっと安いし、いらなくなったら売ることができます。

賃貸の場合、高額にならないための仕組みも考えています。そうでないと、私は入居できませんから。

これが、次に考える新しいシニアライフの構想です。

 

みんなが選んだ終活のユーザー様へ一言



Q.みんなが選んだ終活のユーザー様(高齢の方、高齢の親を持つ方)に何かメッセージをお願いいたします。

経験上言えることは、正直、親の介護は大変です。でも何が大変なのか?を考えてみましょう。そこには何かしらの困りごとがあり、それを解決できないから大変なのです。では、その困り事は自分の困り事ですか?親の困り事ですか?

親の介護で悩むとき、それは親の困り事ではなく自分の困り事を解決しようとしていることがほとんどです。

例えば、親が認知症で徘徊をしている時、徘徊は誰の困り事でしょうか?いなくなったら困る。転ばれたら困る。困っているのは介護者なのです。

徘徊で動き回らなければならない本当の困り事を持っているのは親なのです。

では親は何に困り徘徊をしなければならないのか?その要因を探ることが必要です。

例えば、便秘で苦しいのに言葉で伝えられないから動き回っているのかもしれません。

お腹がすいて動き回っているのかもしれません。薬が変わって落ち着かずに動き回っているのかもしれません。

これは徘徊をしなければならない要因があって親の困り事となっています。

便秘や空腹を解消し、薬を変更することなどで親の困りごとが解決できれば徘徊はなくなり、それに伴い介護者の困りごとも必然的になくなります。

そんな時は、第3者に相談してください。経験から介護をしている時は、自分ではわからないくらい追い込まれていることが多いです。

第3者が冷静に事象を見ると簡単に解決したりします。上手に相談相手を利用してください。

どこに、誰に相談するかが問題なのです。信頼できる相談先を探しましょう。患者会など、今まで親の介護を経験した方は生きた情報をたくさん持っています。

行政の窓口もそうですが、経験者の言葉は深い意味を持ち現実的です。私たちがやろうとしているRVパークの中には、よろず相談室がありますが、地域にも「街角保健室」などがあり相談できるところもあります。

親の介護に縛られず、自分のことも考えましょう。自分の人生は自分で作れます。

自分らしく生きる事を考えてみませんか?これからは、自分の思い描く生活形態が選択できる時代が来ます。

ただし自分が選んだ以上自己責任です。でも、いつでもやり直しも可能です。

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取材に協力してくださった先生

資格・学会・役職

資格 看護師・救急救命士・スウェ―デン王立シルビアホーム認定インストラクター・心託コンシェルジュ・居宅介護支援専門員
  学会 日本地域看護学会・世界健康長寿学会
  役職 清泉女学院大学看護学部 助教・(一社)MyQOL健幸倶楽部 理事・社会福祉法人ヒューマンヘリテージ 理事

略歴

1981年 順天堂看護専門学校卒業
  1998年 オーストラリア公立グリフィス大学卒業
  2016年 国際医療福祉大学大学院修士課程修了(医療福祉ジャーナリズム分野)    
2022年 国際医療福祉大学博士課程中退(医療福祉ジャーナリズム分野)
  現在、清泉女学院大学 看護学部 基盤老年看護学 助教
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