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専門家インタビュー

『ポール・クローデルの日本観と大正天皇崩御 :「ミカドの葬儀」を中心に』について

更新日:2024.10.12 公開日:2024.10.12

 

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  1. 研究内容について
  2. 今後の目標について
  3. 先生の経歴について
  4. 先生の所属先
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研究内容について

 

Q1.『ポール・クローデルの日本観と大正天皇崩御 :「ミカドの葬儀」を中心に』の研究を始めたきっかけは何ですか?

ポール・クローデルは、20世紀フランスを代表する詩人・劇作家の一人ですが、外交官を本業とし、世界各地で勤務した経験があります。中でも、1921年(大正10年)から1927年(昭和2年)にかけて駐日フランス大使を務めたことで知られており、私は日本滞在中にクローデルが書いた文学作品、外交文書、日記、手紙などを分析して、彼の「日本観」を明らかにすることを目指しています。

 

「ミカドの葬儀」は、クローデルが1927年にフランスで刊行した日本論集『朝日の中の黒鳥』に収録されておらず、日本について書かれた彼のテクストとしては比較的マイナーな存在であり、あまり研究されてきませんでした。しかし、執筆の参考にするために日記帳に書かれたメモや、『朝日の中の黒鳥』所収のテクストと比較してみると、彼の「日本観」を知る上で意義のある考察ができると考え、詳しく調査するようになりました。

 

Q2.研究対象である、「ミカドの葬儀」とは何ですか?

「ミカドの葬儀」は、クローデルがフランスの雑誌『イリュストラシオン』1927年3月26 日号に寄稿したテクストですが、それに先立ち、1927年2月9日付の『東京朝日新聞』に全文の日本語訳が掲載されています。ここでの「ミカド」とは、1926年(大正15年)12月25日に崩御した大正天皇を指します。

 

当時駐日大使の任にあったクローデルは、1927年2月7日に行われた大正天皇の大喪儀(正確には、「斂葬の儀」第1日目の「葬場殿の儀」)にフランスの代表として参列しました。葬儀から戻ると、彼はただちに自らの日記に葬儀の印象を書き留め、それをもとに翌日一気呵成に「ミカドの葬儀」を執筆したのです(『東京朝日新聞』掲載の翻訳版の末尾には「2月8日記」と記されています)。

 

「ミカドの葬儀」は、前半はあたかも大喪儀のルポルタージュのように、クローデルが目にしたものが淡々と記述されていきますが、後半では日本における天皇の位置づけにまで考察が及んでいます。

 

Q3.『ポール・クローデルの日本観と大正天皇崩御 :「ミカドの葬儀」を中心に』の研究成果を教えてください。

「ミカドの葬儀」の分析により明らかになったのは、大喪儀への参列がクローデルの「日本観」に深化をもたらしたという点です。彼自身が「かつて私は日本人の魂にかんする研究を著し、その本質的な特徴は崇敬であろうと考えた。私はそこに清浄の概念を付け加えるべきであった」と述べている通り、クローデルが大喪儀に見出したのは「崇敬」と「清浄」です。

 

前者について、クローデルは「日本人の魂へのまなざし」というテクストですでにその重要性を指摘しています。彼は、日本では自然の中に「カミ」と呼ばれる一種の超自然的存在が内在しており、それに対して向けられる「崇敬」の念によって人間と自然とのあいだに調和的な関係が築かれていると考えました。

 

一方、クローデルは「清浄」について、「神道の道徳そのものであ」ると述べていることから、これは神道の「禊」ないし「祓」を意味しています。しかし、ここで彼は大正天皇の亡骸が埋葬されようとしている光景を指して「清浄」と述べているのであり、これは神道において死が「汚れ」とされていることと一見矛盾するようにも思えます。しかし、ここで問題になっているのはあくまでも「天皇の死」に他なりません。

 

クローデルは1926年8月ごろに執筆した「明治」というテクストで、天皇という存在の在り様を「魂」に擬え、「常に存在し持続する」としています。つまり、彼は身体を有した実体としての「天皇」(大正天皇=嘉仁)と機能としての「天皇」(魂)を区別しているのであり、大喪儀には、その「魂」が新しい身体(昭和天皇=裕仁)へと継承される儀式という意味合いがあります。

 

そのため、クローデルの目に天皇の死が「清浄」と映ったのは、通常は有限な肉体と二重写しになっている「魂」、すなわち天皇の本質が、肉体の死によって一瞬ではあるが現前すると捉えたためではないかと考えました。

 

Q4.学谷先生が考える本研究の意義を教えてください。

日本に滞在した数年間、クローデルはフランス語や英語で書かれた日本学関連書籍を読みつつ(彼は日本語を解しませんでした)、ときに公務の一環として、ときに親しい友人たちとの私的な旅行として、日本各地を訪問しました。つまり、書物から得られた知識と実体験に基づく認識とが交差し合うかたちで、彼の「日本観」が形成されてきたのだといえます。

 

クローデルは、ダニエル・C・ホルトム『近代神道の政治哲学』などの欧文書籍を通じて神道についての知識を得ていましたが、神道祭儀として執り行われた「葬場殿の儀」に参列することで、「天皇」や「神道」という問題を具体的な儀式を通して目の当たりにしたのです。

 

さらに、クローデルはカトリック信徒であり、彼の日本理解はカトリック的な解釈を多分に含んでいます。そうした彼独自の視線に、大正天皇の大喪儀がどのように影響したのかを考えることも今後できると思います。

 

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今後の目標について

Q5.学谷先生の研究における最終的な目標を教えてください。

私のこれまでの研究の目標は、クローデルと日本との関わりを総合的に解明することでした。「ミカドの葬儀」研究もその一環として行ったものです。最近は、これまでのクローデル研究の成果を整理し直して一冊の本にまとめる作業を行いつつ、クローデルを起点として大正時代の日仏文化交流の実態を実証的に把握すべく研究を続けています。

 

より具体的には、クローデルと日本人(詩人、評論家、財界人、芸術家等)の交流の解明と新資料発掘、大正時代に発表されたフランスの翻訳詩のデータベース作成と媒体(雑誌や新聞)ごとの受容傾向の解明、クローデル以外に日仏文化交流に注力した人物の調査などです。

日本文化に対するフランス人の視線、そしてフランス文化に対する日本人の視線がどのように交差していたのかを解明したいと考えています。

 

先生の経歴について

Q1.先生の略歴を教えてください。

・慶應義塾大学文学部人文社会学科仏文学専攻卒業

・東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程満期退学

・ソルボンヌ大学大学院フランス文学・比較文学研究科博士課程修了

・日本学術振興会特別研究員(DC1・PD)

・中京大学教養教育研究院講師・准教授

 

Q2.先生の資格・学会・役職を教えてください。

・博士(フランス文学・文明)

・DUFLE(外国語としてのフランス語教授法免状)

・日本フランス語フランス文学会 

・日本比較文学会 

・日本仏学史学会(編集委員)

 

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先生の所属先

中央大学

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